第二話 「シジュウカラとメガネ拭き」
コーヒーの香り。
研究室は日当たりが良いからか、廊下より少し温度が上がったように思えた。こんな春の日には少し暑いようにも感じる。
実際には『温度』というよりその場の空気自体がいつもとは違ったのかもしれない。
ただいつもと同じように深緑のパーカーを深く被ったサディクが
平然と現れた事に安心した。思わず安堵のため息が漏れる。
「よォ、早かったじゃねぇか」
独特の方言混じりの口調でサディクが言う。どうやらコーヒーを淹れる途中だったようで無駄に本格的なコーヒープレスを片手に簡易的な給湯場からひょっこりと顔を出していた。
「あ、はい、まぁ・・・」
「あー俺キャラメルマキアートな」
アーサーが答えるや否やアントーニョがまるで某コーヒーチェーン店に来たかのような態度をとる。
「だからここはスタバじゃねぇよ!!」
と、お決まりのツッコみをしつつも慣れた手つきでコーヒーを淹れる。サディクは学生時代某コーヒーチェーンで働いていたことがアントーニョたちにバレそれ以来すっかりからかわれている。
「アーサーは紅茶でいいよなァ?」
「あ、はい、お願いします。」
アーサーは返事を返すがサディクの声がまるで耳に入っていないかのような浮ついた返事だった。
「アーサーの会いたい奴なら奥の部屋に居ると思うぜ?多分。」
「ぅえ!?」
不意を突かれたようにアーサーは耳を若干染める。
「だだっだだだっだだ誰すか会いたい奴とか知らね」
アーサーは動揺を全く隠しきれていない拙劣な敬語でなんとかその場をごまかそうとする。
アーサーの本心をやたらと隠そうとする性格はこれからも改善するつもりが無いようだ。
サディクに言われた通り奥の部屋へと歩を進める。
しかし、部屋には誰も居ない。同時にサディクが意味深に語尾に付けた『多分』が脳裏を過る。風が顔を霞めた。
風に乗って微かな甘い香りを感じた。あぁ、これが春の香りだろうか、そんな詩臭い事を想いながら『春』というものに浸ってみる。
ふと窓の外の世界に目をやる。
そこには一人の少女が居た。
正確に言えば窓枠に腰を掛けた状態で半身を外に投げ出している。
その小柄な体格からか少し風が吹いただけでバランスを崩してしまいそうに見えた。
そして何より重要な点は此処が3階であるという事。落ちたら怪我どころでは無いのは明確だった。
「・・・っちょッ!!ここ3階やって!何してーー・・・」
アントーニョたちの存在にようやく気付いた少女はこちらを振り向くのと同時に小さく「・・あっ」と呟く。
予感的中。
少女は体制を室内側に崩した。
室内側だったのが不幸中の幸いとでも言うべきか、アントーニョのとっさ判断のお陰とでも言うべきか、少女はアントーニョに抱えられるような体制で落下した。
アントーニョは今の状況にもだが、少女のその羽毛のような軽さと人形のような顔立ちに驚きを隠せなかった。
目、鼻、口、髪の毛の1本1本が、文字通り頭のてっぺんからつま先まで、作り物のような整った顔立ちだった。
先程の『春の香り』なるものの正体はこの少女だったようだ。
暫くしてアントーニョはその翠眼の瞳が自分を見つめているのに気づく。無意識に目を逸らすとそこには大き目のスケッチブックがあった。
「シジュウカラ、か」
先程から蚊帳の外状態だったアーサーが突如口を挟んできたことにアントーニョは驚いた。
アーサーの言葉の通りその使い古されたスケッチブックには頬から後頸にかけて白い斑紋のある鳥、つまりシジュウカラが描かれていた。
「あ、この鳥シジュウカラっていうんですか」
納得したように少女は呟く。
「ーー・・知らないで、描いてたのか・・?」
アーサーの質問に少女は申し訳なさそうに頷いた。
その斜め下を見つめる少女の横顔をアントーニョは気づかれないよう覗き込んだ。『ほんっと人形さんみたいやな』
窓から差し込む春の日差しの中、一人の少女と二人の青年が部屋の一隅に集まるという異様な光景がそこにはあった。
「・・・・・何してんだァ?おめぇら」
勿論今までの一部始終を全くもって知らないサディクは不信感満載の眼差しでアントーニョとアーサーを見つめた。
「んで、こいつが例の大賞さんな」
自慢のコーヒーをすすりながらサディクは二人に説明する。
「先生の隠し子ですか?」
「それギャグに聞こえねぇからやめろ」
アーサーの微妙なボケにサディクがツッコむ。
それをフォローするかのように少女は自己紹介を始めた。
「一年絵画科のリヒテンシュタインです。宜しくお願い致します。」
そう言って一礼する姿からは育ちの良さが感じられた。どこかの令嬢か何かだろうか、そんな考えがアントーニョの頭を過った。
「てか、大学生なん?」
その童顔さと小柄な体格からはとても今年から大学生になる18、19歳には見えなかった。中学生といっても初対面なら信じて疑わないだろう。
「ドちびだな。」
それは禁句だろう。
アーサーは思ったことを容赦なく言うガキ大将系幼児をそのまま成長させたような奴だ。当然友人も少ない。
リヒテンシュタインと名乗るその少女はアーサーのその言葉のせいかみるみる縮こまっていった。
アントーニョに非はなかったがアーサーの発言によりリヒテンシュタインを気づ付けてしまったことは実にいたたまれなかった。
「俺、彫刻科三年のアントーニョ・ヘルナンデス・カリエド。よろしゅうなぁ。あとリヒテンシュタインって長いさかい、リヒちゃんて呼んでもえぇ?」
そう言うとアントーニョは首を傾げ優しく微笑みかける。
瞬きをしたら見逃してしまいそうな小さな頷きを見てアントーニョはひとまず安心する。
「アーサーはしねぇのか?自己紹介」
「しねぇ。あ、いや、しません」
質問相手が一応教師ということもあって敬語に変えようと努めるが、普段からの癖というのもは案外隠しにくいものでついボロが出る。
「このぶっとい眉毛の奴はアーサーな。因みに前世はメガネ拭きやで。」
アーサーの意思を完全に無視してアントーニョがアーサー分の自己紹介をする。
「なんだよメガネ拭きって!!?」
身に覚えのない前世を述べられたまらなくなったのか仕方なく自己紹介をしはじめる。
「アーサー・カークランド・・・・だ。」
それは自己紹介にしては余りにも粗末なものだった。
アーサーはもともと社交辞令や愛想笑いが得意ではなかったがここまで酷い対応を見るのはアントーニョにとって初めての経験だった。
恐らく気に食わないのだろう。この少女のことが。
「アントーニョ、彫刻科そろそろ授業じゃねぇのか?」
「あーーー・・せやった。じゃ、行かんと・・」
忘れていたわけではない。ギルベルトのようになるのは御免だし今年度初の授業に出ないというのはさすがに印象悪く思われるだろう。
しかしそれ以前にサディクが居るにしろアーサーとリヒテンシュタインを残して行くのはどうも胸糞悪かった。ここまで機嫌の悪いアーサーはどんな暴言を吐きだすか分からない。
だからリヒテンシュタインがこう言ってくれたのは実に有難かった。
「私もご一緒してよろしいですか?」
心配する手間が省けた。
サディクに淹れてもらったコーヒーを急いで飲み干し部屋を後にする。焦って飲んだせいか少し口の中を火傷したような気がした。
「彫刻・・・興味あるん?」
斜め後ろから小走りでついてくるリヒテンシュタインに問いかける。
「あ、えと、すみません。なんかあそこ居心地悪くて・・」
正直そんなことだろうと思っていた。先程のアーサーからは憎悪というか、軽く殺気立ったものが感じられた。
「アーサーやろ?おっかないよなぁ、あいつ」
「・・・すみません」
否定しないところからするとその通りなのだろう。
「んで?どないする?一緒に授業来る?」
「・・一緒に行ってもよろしいんですか?」
そういって目を輝かせる姿はおもちゃを目の前にする子供そのものだった。
「ここまで来といて来るなって方が可笑しいやろ」
そういって笑いかけるとリヒテンシュタインも笑い返してきた。
やっと笑う顔が見れた。
別に笑わせようとしたつもりは無かったがなんとなく安心した。
彫刻科の教室はサディクの研究室からは少し離れている。校舎の西側、二階に位置する日当たりの良い場所だ。
「そもそも科の違う生徒が授業行ってもいいんですか?」
教室を目前にしたところでリヒテンシュタインが問いかける。
「そりゃ駄目やろ。他の科の生徒が勝手に授業受けちゃ。」
「な・・・なんでもっと早く言ってくれなかったんですか・・・!」
リヒテンシュタインが困ったようにも怒ったようにも見える表情で訴えてくるのでアントーニョは意地悪そうにほくそ笑む。
「他の科の場合は。な。」
「はぃ・・・?」
彫刻科の教室窓から見えるすぐ近くに草木の茂る裏庭のようなところがある。手入れされた花壇はとても手入れが行き届いているが誰がしているのかは謎のままだった。
猫の物欲しそうな鳴き声と金属のぶつかる音。
慣れた手つきで猫缶を開けるこの青年こそがアントーニョの、彫刻科の教師。ヘラクレス・カルプシだ。
ヘラクレスの頭上から声が降ってくる。
「せんせーーーー!今日も実習でえぇのーーー!?」
アントーニョだ。
「・・ん。実習でいい。終わったら各自解散」
声を張ってはいないものの二階にいるアントーニョ達にはしっかり聞こえていた。
「っちゅー訳や」
窓から乗り出した身を室内に引込め、リヒテンシュタインに向かって笑いかける。
「・・・すみません。全く意味が・・。」
アントーニョの話によると彫刻科教師ヘラクレス・カルプシは入学以来まともな授業を全く行ったことが無いようだった。
普段の授業は殆どが実習で、彫刻史なども当然習った試しが無かった。普通実習は三年からが主なのだが入学初日から実技ばかり教え込まれているせいか、他の科に比べ技術力だけは高いのがこの科の特徴だった。故に知識はボロクソである。
転科する生徒もいたにはいたが、知りたくも無い歴史やら技法やらを叩き込まれる授業よりはるかにマシであるが為か、むしろヘラクレスの授業を受けたが生徒もいた。
ヘラクレス自身の技術も確かなものだった。というのもあるだろう。
「先生今日はあの調子じゃ授業来ぃへんと思うし、先生自身決まりとか気にせん人やから大丈夫ってことや」
「そ・・・それは教師としてはどうなんでしょうか・・」
リヒテンシュタインの控え目なツッコみをもろともせずアントーニョは話を進めていく。
「んーー・・・他の奴にばれたら面倒やしなー・・。個室あんねんけどそっちでえぇ?」
「個室なんてあるんですか?」リヒテンシュタインが尋ねる。
「彫刻科は他の科に比べて定員が少ないんや、せやからちょっと余裕あんねんやろ。スペース的に」
「そうなんですか」
本当は担当教師の許可が無いと個室は使えないという事はリヒテンシュタインには秘密にしておいた。
個室のドアを開くと軽く石粉が舞った。
そこは二年の最後にアントーニョが使ったままの状態だった。石粉を吸い込み小さく咳き込む。
「んじゃ。やってみる?」
「コーヒーは地獄のように黒く、死のように濃く、恋のように甘くなければいけない。」
「・・・・誰の言葉すか?」
突然向かい側に座るサディクが戯曲じみた事を言い出すので若干引き気味で問う。
「トルコの諺だ」
「・・・はぁ・・。」
入学当初からなのだがサディクはたまに突拍子もない事を言い出す習性がある。
こういう場合はむやみに聞き入ったり深く解いたりせず聞き流すのが最善だとこの二年間で学んできた。
「・・・春だなぁ・・」
若干にやけているのが不気味、というより気持ち悪かった。
「そーですね」
「・・春だよなぁ・・・・」
「そーっすね」
「春かぁ・・・」
「はい」
同じ会話の堂々巡り。
コーヒーはすっかり冷たくなっていた。
あとがきといえば聞こえが良いような気がする反省文
こんな感じです。
大して発展するわけでもない小規模なお話です。
メインキャラ出したらあとは楽しくやってこうと思います。私が←
余談ですが私はコーヒー派ですがもっぱらインスタントです。ヒモジイw